展覧会

たとえば、ひとつの水滴があるように
As if there is a drop...

ナチュラルであること。たとえばそれは、水滴がひとつあるというようなことではないだろうか。水滴のぷっくりとしたかたち。そこには、地球上のあらゆる力が働いており、力や界面のバランスがぎりぎり保たれて半球体のかたちをなしている。水滴のつるつる、ピカピカとした質感。そこには、透明と反射が入り混じった世界が広がっており、まるで小さな球体に閉じこめられたかのようにまわりの風景が映し出されている。
ひとつの水滴。わたしたちはそれを、いつ、どこにいても見ることができる。ただそこには、重力、表面張力、透明、反射などさまざまな自然の摂理が働いている。いくつもの必然が重なり合っているにもかかわらず、偶然に生み出されたかのように現れる水滴という物体。わたしたちは、そこにナチュラルな感じを味わうことができるのではないだろうか。
EXHIBITION C-DEPOT 2006では、このナチュラルな感じを絵画、イラストレーション、立体、工芸、映像、メディアアートなどのさまざまな視覚表現によって立ち上がらせている。ひとつの水滴ように、いくつもの必然の中で偶然に生み出されたかのように現れる作品の世界。わたしたちは、そこに波長を合わせることで、ナチュラルな感じを体感することができるだろう。まるで、この身をじっと水滴の中に溶け込ませていくかのように。
text by AWATA Daisuke

コメント

若き芸術家達の「道場」 箕浦昇一(東京藝術大学教授)

自分達の発表の場を「C-DEPOT」と名付け、若い芸術家達が集まった。ここには自らの表現手段を通して『今』に生きる意味を見つけようとしている若者達がいる。「自分とは」「自分のアイデンティティとは」「自分と世の中の関係性とは」について真摯に探求し、世の中に問う若者達がいる。

コンピューターを使いデジタル表現をすれば『今』であり、筆と絵の具のアナログ表現が『今』ではないということではない。ここには既成の場に甘んじることなく自らの場を設定し、表現のジャンルを超えお互いに刺激し合い、日頃の研鑽の結果を自己発信する『今』を生きながら自分の存在価値を探す若き芸術家達の『道場』であると言っていい。

このような場は『今』という気に溢れ、その作品に相対した人々に大いなる気と刺激を与えてくれると思う。そのような彼等の活動を応援したいと思うし、彼等の未来に期待する。願わくは次代をリードする芸術家が生まれることを望む。